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私にはお友達がいません。ずっと昔――いつだったかも忘れてしまうぐらい前から、私はずっと、お部屋の中にいます。私はいつもひとりぼっちで、さみしいです。
毎日、毎日、もしかしたら私のところに誰かが来てくれたような気がして、お部屋の扉を開けます。そこには誰もいません。誰もいない部屋の外をぼうっと見つめていると、ただただ涙がこぼれてきます。
私もお友達が欲しいです。お話したり、一緒に遊んだりしたいです。でも私には、それは許されることではありません。私は、誰ともお友達になってはいけないのです。私は「悪魔の子」で「黴菌」で、「呪われている」のです。私に触ると「呪いが伝染る」のです。
だから、私はこれからもずっと、ひとりぼっちでいなければいけないのです。それが私の義務だと言われたことがあります。私はいじめられても仕方ない人間なのです。それが人の中にいる時の私の役目です。でも私はいじめられるのは嫌です。みんなみたいにお友達と一緒にいて笑っていたい、楽しい気持ち、幸せな気持ちを感じたいのです。
私はいつも自分のことが嫌で仕方ありません。わたしは時々、カッターナイフを持って、自分の手首に傷をつけます。切ります。切ります。何度も、切ります。痛みを感じます。血が出てきます。けれど私は我慢しなくてはいけません。私が悪いんですから。全部、私が悪いんです。全部。全部。私が……。つらいです。苦しいです。けれど私はそれを誰にも訴えてはいけないのです。私がこんな思いをしているのも全部私が悪いのです。私はそれほどまでに罪深いのです。なのに私は、まだこうしてここに生きてしまっています。
私は本当に、ここにいてもいいのでしょうか。本当に、生きていていい人間なのでしょうか。お空のお月さまは私を許して、受け入れてくれます。けれど私はヒトに受け入れられていません。存在を許されていません。私は、消えたほうがよいのではないでしょうか。人に必要とされないのなら、私が人の中で生きている意味は、ないような気がするのです。
それどころか、私の存在が私の周りにいる人を苦しめているような気がするのです。いいえ、『気がする』のではないのです。これは事実なのです。だから私は、どんな痛みも苦しみも受け入れなければいけないのです。そして、どんな幸せも感じてはいけないのです。
今日はいつもと違うことが起こりました。いつも私が頭の中に受信している電波の中から、女の子が出てきたのです。その子の名前はさなえちゃんといいます。さなえちゃんは私なんかよりずっときれいで、長い髪をした明るい子です。さなえちゃんは他人のはずなのに、私をいじめたりしません。それに、私とお友達になってくれるというのです。私はうれしくて、うれしくて、涙が出ました。今までのような悲しい気持ちの涙ではない、うれしい気持ちで涙を流せたことが嘘のようで、私の中でうれしい気持ちがもっと増えました。
私は、さなえちゃんといっぱいお話しました。私のお部屋には遊び道具がぜんぜんないけれど、さなえちゃんが遊び道具を出してくれて、私は子供に戻ったような気持ちで、日が暮れるまでさなえちゃんと一緒に遊んでいました。とても楽しかったし、嬉しかったです。けれど、さなえちゃんは夜になると帰ってしまうのです。さなえちゃんと別れると、私はまた暗くて悲しい気持ちになってしまいます。
夜になると決まって思い出してしまうことがあるのです。それはとてもつらくて、苦しかった、いやな思い出です。思い出したくて思い出しているわけではないのです。あまりにつらかったので、頭の中の、どこか深いところに残ってしまっているのだと思います。いやな言葉や風景が私を苛みます。私はそれから逃れるために頭を叩いたり、壁や机に頭を打ち付けて痛い思いをしなければいけません。
痛いです。とても痛いです。けれど、あの人にぶたれたり、私の大好きだったものを投げつけられて壊されるような、そんな痛みに比べたら、このくらいの痛みはどうということはないと思えるのです。
ああ、ママ……どうして……わたしを、捨てたの。わたしは、おもちゃじゃない……けれど、ママには、わたしが、おもちゃだったの……?こわれたおもちゃは捨てなければいけないんでしょう、だから私を、こわれてしまった私を捨てたんでしょう?ママは、わたしが、きらい……だったの……?……嘘、だよ。ママは私をいじめるはずないもの。違うよ。あのママは、嘘……。本当のママが、どこかにいるはずなの。まだ会えていないけれど、どこかに……
今日もさなえちゃんが遊びにきてくれました。実は、さなえちゃんは私の頭の中に住んでいたらしいのです。だから、さなえちゃんは夜でなければ、私がさみしい時にいつでも私に会いにきてくれるということなのです。
そのことを聞いて、私はうれしくなりました。さなえちゃんは今の私にとって、たった一人の友達です。私はさなえちゃんともっともっと仲良くなりたいです。いっぱいお話して、いっぱい遊んで、しあわせな気持ちをたくさん受信したいです。
(※続く)
日に日にできることが増えていくどころか、たぶん実態は逆で日を追うごとに何もできなくなっているのを感じる。この週末も何か絵なりなんなりを作る予定がさっぱり何もできていない。物事が予定通りに進まないというのはたまらなく苦痛であるし一種の罪悪感のようなものが芽生えたり焦燥感に駆られたりする。休む必要なく物を作り続けられる肉体と精神と無限に近い大量の時間が欲しい。実生活を捨てて人生を壊してでも偉大な功績を残して承認を得なければいけないのにそれが何もできていないし何を作っても承認が得られないので作る意味がないのに何か作ろうとするのを完全にやめることができない。おまけに実生活なんてことをして貴重な時間や金を浪費しなければならないのがたまらなく苦痛である。物を生み出すことに関連しないあらゆる行為は時間と金の浪費に他ならないと理解しているのにそれをする、やめることができない、なら脳を壊して人間であることをやめてしまおうか、あるいは命を断てば時間も金も浪費しないですむし発表してもそれによって誰からも承認を得られないような無価値なものを生み出すこともしなくてすむのに、傷や痛みを恐れるので命を絶つこともできず苦しんでいる、母親や実生活やあたしを承認しない人間やあたしを現世に縛り付けているものすべてが憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い